戦略人事が求められている理由

1.戦略人事を取り巻く背景と、戦略人事が必要な理由

戦略人事は、これまで事務処理中心だった「守り」の人事部門を、より経営戦略に沿ったリーダーシップを発揮する「攻め」の人事部門に変革し、競合他社に対する優位性を確立するために生まれました。グローバル企業では既に普及が進み、日本でも急速に広がりつつあります。

なぜ、戦略人事がこれほどまでに重視されるのでしょうか?

それには背景と理由があります。

間接的にビジネス全体に影響を及ぼす環境の変化や時代のトレンドが背景にあります。少子高齢化による人口動態の変化という大きなレベルの変化があります。また、一時期、シンギュラリティ(特異点)という言葉が流行しましたが、人工知能(AI)などのテクノロジーが業務に及ぼす影響が考えられます。HRの分野においても、近年テクノロジーが大きな変化をもたらしつつあります。

ここでは背景として、以下の3つをピックアップしました。

  • 背景1:「人生100年時代」の到来
  • 背景2: 少子化と超高齢社会における日本の現状
  • 背景3:HRテクノロジーの急速な進歩

上記の背景が、戦略人事が求められる理由です。

さらにHRでは、多様な働き方が追求されていること、グローバル企業の脅威、人事部門自体が経営と密接に関わりつつある現状が、戦略人事が求められる理由として挙げられます。社会的な動向を踏まえた上で、考察を加えました。

ひとつひとつ解説しましょう。

2.背景1:「人生100年時代」の到来

ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの共著による書籍『LIFE SHIFT』(東洋経済新報社、2016年)は、大きな反響を呼びました。この本のサブタイトルに「100年時代の人生戦略」と掲げられています。「人生100年時代」は、2017年の流行語大賞にもノミネートされました。

医療の進歩などによって長寿化が進み、2050年までに日本の100歳以上の人口は100万人を突破するという国連の推計が、この本の冒頭に挙げられています。長寿化によって、さまざまな変化が生まれ、雇用や働き方は大きく変わります。

具体的には、これまで「教育-仕事-引退」という3ステージの人生が一般的でした。ところが100年ライフが実現することにより、企業を途中で辞めて次の世代のために大学に入り直す「エクスプローラー(探検者)」のステージが加わります。さらに組織に所属せずに自分のビジネスを始める「インディペンデント・プロデユーサー(独立生産者)」、異なる種類の活動を同時に行う「ポートフォリオ・ワーカー」が登場するだろうと予測しています。このとき人生は「マルチステージ」になります。

とはいえ、ある日突然、世界の人々がマルチステージ型のライフスタイルに変わるのではなく、長寿化と人口構成の変化にしたがって変化は緩やかに訪れます。

『LIFE SHIFT』では、1945年生まれのジャック、1971年生まれのジミー、1998年生まれのジェーンという人物を設定して、それぞれの歩む100年ライフのシナリオを描いています。1945年生まれのジャックは、まだ3ステージ型の人生を歩んでいますが、ジミーは企業年金を受給できない問題を抱えることになります。1998年のジェーンにおいては、3ステージの人生が崩壊し、80代まで働き続けなければならないシナリオです。

そこで1998年生まれのジェーンは、一度会社を辞めて大学で学び直して新たなスキルを身につけたり、働くこと自体で学んでいくポートフォリオ・ワーカーを選択したり、生き方を変えます。ポートフォリオ・ワーカーの場合は、学ぶことと働くことの境界が曖昧になり「Work as Life」として教育と仕事のステージが一体化します。

社会人でありながら学び続けることは「リカレント教育」と呼ばれることもあります。ポートフォリオ・ワーカーのステージで働く従業員は教育を重視するため、教育制度が離職を防ぐ布石になります。

このような、マルチステージ型の人生が一般化すると、人事部門としては、さまざまなステージで多様な要望や価値観を抱いている人材を束ねていかなければなりません。現在の正社員、派遣社員、嘱託社員、アルバイト・パ-トのほか、個人エージェントなどを戦力として、組織を運営する場合が想定されます。ただでさえ人材不足は深刻ですが、制度を整備するだけでなく、優秀な人材をつなぎとめておくための「求心力」が必要です。

この多様な人材を束ねる人事が「戦略人事」です。

3.背景2: 少子化と超高齢社会における日本の現状

『LIFE SHIFT』はロンドン・ビジネススクールの教授ふたりが書いた本ですが、世界中で真っ先に超高齢社会の現実を突きつけられているのは、私たち日本に他なりません。世界中の国々が、どのようにこの状況を切り抜けていくか、日本の対応を見守っている状態です。

人口動態では15歳~64歳は生産年齢人口と呼ばれます。この生産年齢人口が2060年には、現在のおよそ半分になってしまうことが『日本の将来推計人口』(国立社会保障・人口問題研究所)のグラフから読み取れます。労働環境が現状のままであれば、日本経済を現在の半分の人間で支えなければなりません。まるで、ギリシア神話に登場する地球を背負うアトラスのようです。

この人手不足を解消するためには、次のような施策が考えられます。

  • 1人あたりの生産性を向上させる。
  • AIなどシステムに労働を代替させる。
  • 労働年齢を引き上げ、80代でも働けるような仕事をつくる。

生産性に関しては、『労働生産性の国際比較2018』(公益社団法人 日本生産性本部、2018年12月19日発行)によると、日本の時間当たりの労働生産性はOECD加盟36カ国中20位の47.5ドルです。あまり喜ばしいことではありませんが、主要な先進7か国では1970年以降、最下位をキープしています。

しかしながら、大手広告代理店の過労死の問題などから、長時間労働の是正も重視されるようになりました。

そもそも日本の人事制度は年功序列、終身雇用を長い時代に渡って継承してきました。家族経営的な従業員を守る人事制度が日本のよさでもあると同時に、その呪縛から逃れられないことによって、グローバルな人事制度に遅れをとったとも考えられます。一方で、海外から実力主義の評価制度だけを無理やり輸入して、日本の文化にローカライズせずに導入して破綻することも少なくなかったのではないでしょうか。

古い人事の常識が崩壊して通用しなくなり、人材不足に悩まされるとともに、RPAなどの業務改革の先端テクノロジーやテレワークなど働き方改革などの変化に挟まれて、「現在は人事部受難の時代」と呼ぶ人もいます。

しかし、だからこそ変化を恐れて行動しないことはリスクを高めます。変化の激しい時代は、うまく変化の波に乗ることが求められます。

少子高齢化による生産年齢人口の減少は、もはや避けられない現実です。しかし、このような大きな変化は徐々に進展するため、ぼんやりしていると見過ごしてしまいます。「まだ大丈夫だろう」と思っていると、いつの間にか「これはマズイ」状態になり、そのときに手を打とうとしても後の祭りです。

戦略人事は、守りから攻めへの転換が重要です。

人事部門であっても経営を担う一員として、みずから人材戦略を立てるアグレッシブな姿勢が求められます。少子高齢化は日本の動向なので変えようがありません。しかし、企業の将来はみずからの手で変えることができます。

「超高齢社会だから仕方ない」

「社長がなんとかしてくれるだろう」

そんな傍観者の立場で見守るのではなく、日本の現状と未来に当事者として危機感を抱くことが大切です。もちろん、過剰に不安になる必要はありませんが、「社長に任せた」「営業に任せた」ではなく、人事部門としても、日本と自社の危機を乗り越えるために、自律して考えることが求められます。

これまで事務処理だった人事部門が戦略的活動に推移しなければならないのは、日本が直面する危機を乗り越えるためには必然です。

4.背景3:HRテクノロジーの急速な進歩

テクノロジーも急速に変化しています。HR分野のテクノロジーは、2015年以降、日本でも少しずつ注目されるようになりました。

2017年には「働き方改革」とともにHRテクノロジーが大きく話題になり、経済産業省主体で「HR-Solution Contest」を開催。政府としては初めての試みにも関わらず、国内外、ベンチャー企業や大企業を問わず103件の応募がありました。

2018年のHR-Solution Contestでは、株式会社ジンズが「JINS MEME OFFICE BUSINESS SOLUTIONS」でグランプリを受賞しました。

株式会社ジンズは主にJ!NSブランドのメガネで有名な企業ですが、受賞したHRソリューションは、眼鏡型のウェアラブルデバイス「JINS MEME」を使って、生産性において重要な因子といわれる集中力を計測。HR施策が集中力の向上に効果を上げているかを可視化し、PDCAサイクルによって働き方改革を進めていくというプレゼンテーションでした。

HRテクノロジーまたはHRTechによってもたらされる基本的な恩恵には、次の3つがあります。

  • デジタル化・データ化による検索性や利便性の向上
  • 情報をオープン化することによる共有
  • システム処理による処理の迅速化

この3つの上位に、意思決定やストレス耐性などを判断して最適な人材配置などを行う「AIの活用」があります。

従業員のデータのデジタル化は、給与や勤怠、採用時の履歴書やエントリーシートなどもありますが、社内の健康管理としてメンタルヘルスの側面から従業員アセスメントなどによるストレスチェックのデータ管理も考えられます。

クラウド上の労務管理システムは、情報を共有するテクノロジーとしては、オーソドックスなシステムです。たとえば「SmartHR」は、雇用契約、入社手続きから、年末調整、給与明細の発行、退職・住所変更手続きなど、さまざまな業務を一元管理。ペーパーレスを実現し、承認のための用紙やハンコが不要になります。

戦略人事においては、個々の従業員のタレント開発(TD)も重要な機能ですが、人材の見える化を支援する株式会社プラスアルファ・コンサルティングの「タレントパレット」というソリューションも、多くの企業に導入されています。採用や人材の配置、離職の防止など、科学的人事戦略を支援するタレントマネジメントのシステムです。

しかしながら、世界と比較すると、日本のHRテクノロジー導入はまだ遅れています。2012年~2016年のHRテクノロジー分野におけるベンチャーキャピタルの投資金額では、米国が62%で最も大きく、英国6%、インド4%、カナダ4%、中国3%で、日本はその他47か国の21%に入ります。インドや中国にも遅れをとっています(CB insightホームページより)。

5.「ヒト」こそが、優位性獲得と差別化の最大要因

このようにHRテクノロジーは進歩しつつあり、新たなソリューションが次々と生まれています。今後は戦略人事の4つの機能と言われる、ビジネスパートナー(BP)、組織開発(OD&TD)、センター・オブ・エクセレンス(CoE)、オペレーションズ(OPs)を支援する特化型ソリューションが登場するかもしれません。

ヒト・モノ・カネ・情報という企業の資産のなかで、最も重要な資産は「ヒト」ではないでしょうか。

AIによって単純作業や分析・予測などの分野が人間からAIに代替される時代において、どのような競合他社もAIを導入するようになれば「人間だからできるサービス」が他社と差別化し、自社の優位性を維持できる資産になるはずです。

「人生100年時代」による価値観や働き方の多様化、「少子高齢化」による人材不足、「HRテクノロジーの進歩」は、戦略人事が必要な理由としては、動かしがたい事実です。しかし、自社の業務をみつめ直したとき、競合他社の人事部門が経営的視座から「攻めの人事」に転換している現状に対して、旧態然の「勤怠や給与計算の事務処理」に終始しているとすれば、他社から大きく遅れることになるのではないでしょうか。

特に外資系企業ではHRテクノロジーを導入して、効率的かつ効果的な戦略人事を実現しています。そのような競合企業に対して、優位性を持つことができるかどうか、検討する必要があります。

ところで、採用に関しては、こんな調査結果があります。

『2018年卒マイナビ企業新卒内定状況調査』(マイナビ、調査期間:2017年9月4日告知、10月3日受付締切、回答数:2,238社)によると、採用費用の総額平均は上場企業で1,531.8万円、非上場企業で371.5万円(n=1,294)。入社予定者1人あたりの採用費用平均は全体で53.4万円(n=1,231)でした。

これだけの費用をかけたにも関わらず「入社後3日で新入社員が辞めてしまった」「まったく社内にマッチしない人材だった」ということはよくあることかもしれません。よくあるとはいえ、大きな損失です。さらに人材を育成するためには費用がかかります。ところが、戦略のない漠然とした教育をして数年後に離職してしまえば、損失はさらに大きくなります。

戦略人事は、人材のミスマッチをなくすためにも必要です。そして、バケツの穴を塞ぐためではなく、「才能の泉」を掘り起こして、強力なビジネスリーダーを育成することが真の目的です。

「人材の流動性が高まっているので辞めてしまうから採用しない」ではなく、流動性が高まっているからこそ、優秀な人材を確保するために「人事部門は戦略的でなければならない」のです。

6.まとめ:戦略人事がデファクトスタンダードに

経営者が人事部長に「これから、きみたちには戦略人事としての活動を求める」と説明したとしても「いまも人事の仕事をしているのに、なぜですか?」という問いが返ってくるでしょう。また、熱意のある人事部のマネージャーが経営者や事業部門の幹部に対して「われわれは戦略人事として、これから企業の経営に寄り添って人材開発を行いたい」と発言しても「はぁ?」という冷ややかな目で見られるかもしれません。

そのときの説得材料として、日本の少子高齢化やHRテクノロジー導入企業の増加を挙げることにより、危機感を抱いている経営幹部には響くのでは。

しかし、究極を述べると、戦略人事が求められる大きな理由は「これからは戦略人事が、人事部のデファクトスタンダード(事実上の標準)になる」からです。

機械学習などを含めてAIが高度化すると、福利厚生担当者や電話オペレーター、人材マッチングなどの仕事はすべてAIに奪われるだろう、ということが喧伝されています。しかし、だからこそ人間にしかできない仕事ができる人事担当者は重宝され、AIを使いこなすことができれば重要な戦力となります。

長寿化による年齢別の人口構成比率の変化と、AIがビジネスに浸透することは避けようのない未来です。だからこそ戦略人事が求められ、これから戦略的ではない人事はむしろ生き残れないと考えるべきでしょう。

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